昨今、アニメーションの世界では「情報量」という言葉が重要視されているらしいです。
いかに作品の中に情報量が入っているかということがその作品のある意味での価値基準として使われる。
これって音楽制作の中でも全く同じことがいえますよね。
聞き手に対して多くの情報量を与えること。
多くの情報量があるように感じさせること。
それが曲の印象に大きく左右します。
音楽における情報量で重要なものを書いておきます。
時間軸における情報量 (横の情報量)
サンプラーが登場してAKAIのMPCなんかで音楽が作られるようになってからずっと、打ち込みにビートにはスネアやキックを重ねるというのがスタンダードな手法です。
自分で作っていてもわかりますが、仮に単音のスネア、重ねたスネアを同じボリュームで比較すると、重ねたスネアの方が曲全体で慣らしたときによく聴こえることがほとんどです。
もちろん増やしすぎた音が邪魔になってしまうケースもありますが、じゃまにならないようにいかに情報量を増やすかということを考えることで曲の評価を情報量分上乗せすることができます。
周波数における情報量(縦の情報量)
たとえば同じリードのメロディーを2回繰り返すという場面があったとします。
単純に2回繰り返すと結構きついです。
誰が聴いても「今、同じこと2回繰り返したな。」って気づきます。
ここで一気にこの楽曲のクオリティーや説得力は落ちてしまいます。
だから2度繰り返さざるを得ないという条件の下でいかに情報量を落とさないようにするかが大事です。
例えば1回目の終わりでフィードバックの長いディレイを飛ばす。
その後2回目はその1回目のディレイのフィードバックの中で、ディレイを切って鳴らす。
そうすることで1週目と2週目では音楽的にかなり違うことが起こります。
意味の情報量
人間は類似したものを連想したときにその対象に優位性を感じるそうです。
例えば何気ないメロディーをひとつとってみてもそう。
冒頭でメロディーが短3度(半音3個)上に移動したとします。
そうすると大抵僕らはドボルザークの「新世界より」の冒頭を思い出します。
このメロディーは子供の頃、夕方家に帰らないといけない時間になったら流れるメロディーでした。
そういった聞き手の記憶を使ってメロディーになんとなく寂しい印象を付加することができるのです。
ここで1個分情報量が増えたことにより音楽的な豊かさが1メモリ上がるわけです。(語弊あり)
減らすという情報量
もともとそこに有ったものをなくすことで生まれる情報量というのもあります。
例えばハイハットがループでなっていたとします。
それを要所要所でミュートする。
音数としての情報量(横の情報量)は減るのですが、ループでなっていた音が止まるという時間軸上の変化の情報量はひとつ増えます。
ミニマル・ミュージックというジャンルがあり、その中にも当然たくさんの名曲が存在します。
これは引かなかった場合よりも引いた方が情報量が増える要素を引き続けたることで情報量を増やした音楽という事もできます。
判断のための指標として
こういう風に言ってしまうと作曲という作業自体、何をやっても情報量を増やす作業だと言われてしまいそうです。
しかし、ここで大事なことは
何気なく置いた音にもっと情報量を増やせないかを考えること。
判断に迷ったときに「どっちの選択がより情報量が増えるか?」と考えてみること。
これらを作曲やプロダクションに役立てることです。